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極上の会社設立

じつは、社会的費用の大きさをどのようにしてはかったらよいかについていろいろな考え方があります。
これまで使われてきた代表的な考え方を紹介することにしましょう。
自動車の社会的費用について、日本で最初に計測したのは、一九七〇年、運輸省によっておこなわれたものでした。
交通安全施設の整備にどれだけ費用がかかったかを計算します。
踏切道の立体交差化、信号機の設置、歩道や横断歩道橋、さらに児童公園の整備が主な項目です。
つぎに、自動車事故による損失額を求めます。
運輸省の計測ではつぎのような方法がとられています。
いまある人が自動車事故で死亡したとします。
もしかりにその人が事故にあわないで、天寿を全うしたとすれば、一生を通じてどれだけ所得を得たかを推計し、その割引現在価値を計算して、死亡損失額とします。
割引現在価値というのは、一生を通じて得られる所得を単純に足し合わせるのではなく、将来の所得は適当な割引率で割り引いて合計することを意味します。
たとえば、今年度の所得が三八〇万円、次年度に四二〇万円、その次の年度に五三〇万円の所得があるという場合を考えてみます。
割引率を年五%としたときの割引現在価値はかつ十万円となるわけです。
運輸省の計測ではもちろん、一人一人の死亡者について、その死亡損失額を計算するのではありません。
自動車事故による死亡者の平均年齢は、一九六三年度の場合、三九歳、平均寿命七〇歳として、将来の所得は、その年度の一人当たりの国民総生産額(GNP)とし、割引率はGNPの成長率をとっています。
また、自動車事故による負傷者の損失額として、医療費と賠償責任額のうち自己負担分をとります。
いずれにせよ、自動車事故による死亡や負傷の被害を、このようなかたちではかること自体、異様な考え方です。
そのほかに、自動車事故による物的損失額、また交通警察費などがあります。
これらの項目をぜんぶ足し合わせて、自動車の社会的費用が計算されています。
一九六八年度については、一六四九億円となります。
この年の自動車保有台数の増加は約二三〇万台ですので、自動車の社会的費用は一台当たり約七万円というのが運輸省による計測です。
この計測例では、大気汚染、騒音、振動などという公害問題については、その社会的費用は大きいということはわかっていても、正確に計測することは不可能に近いとされています。
のちに、N研究所が公害問題も含めて自動車の社会的費用を計算しています。
一台当たり約一八万円となっています。
ところが、この、運輸省による自動車の社会的費用の計測に対して、自動車工業会が反論を試みたのです。
自動車工業会の主張はまず、運輸省が自動車の社会的費用のなかに、児童公園や歩道橋の整備を入れていることを批判します。
児童公園、歩道橋、さらには交通警察などは、自動車の普及とはまったく無関係であって、当然整備しなければならない施設だというのが、自動車工業会の言い分です。
日本の道はもともと、歩行を中心に考えられ、つくられてきました。
幅もせまく、折れ曲がっている道が大部分です。
かつては、子どもたちは道で遊んだり、通学を楽しんだものです。
ところが、自動車がせまい道に侵入してきて、子どもたちの通学が大変危険なものとなり、道で遊ぶということは考えられなくなってしまいました。
児童公園は自動車の普及によって止むを得ずつくらなければならなくなったわけです。
また、自動車工業会は、歩道橋の整備についても、自動車の普及とは無関係だと主張していますが、これはとんでもない言い分です。
日本ではいたるところ、幅のあまり広くない道に、巨大な歩道橋がつくられています。
老人や子どもにとって、歩道橋を渡るのはこの上もなく危険なことです。
世界中、文明国といわれる国々で、このような歩道橋をみかけることはまずありません。
何年か前にインドネシアで、日本型の歩道橋をみかけましたが、日本からの経済協力でつくられたということを聞き、何ともいえない感じをもったことがあります。
自動車工業会はそのほかにも、自動車を自分で運転して事故にあった人は、自動車事故の危険を当然計算に入れて運転しているはずですから、その被害は、自動車の社会的費用から取り除くべきだというとんでもない主張もしています。
このようにして、自動車の社会的費用は、運輸省のいうような七万円という額ではなく、六六二二円という結論を出します。
運輸省の計測方法でも、自動車事故による死亡、負傷の被害を、たんなる経済的損失だけに限定するという点で、非人間的な性格をもっています。
自動車工業会の主張は、さらに非倫理的なものです。
N研究所の一八万円、運輸省の七万円、自動車工業会の六六二二円という数字をならべてみますと、自動車の社会的費用のもつ社会的、人間的な意味が浮き彫りにされるような気がします。
それでは、自動車の社会的費用を正確にはかることができるのでしょうか。
この問題に対し私なりの回答を与えたのが、一九七四年に刊行された『自動車の社会的費用』です。
この考え方を説明するために、多少むずかしくなると思いますが、社会的共通資本についてお話したいと思います。
地球温暖化を考えるときにも、社会的共通資本の考え方が中心となります。
社会的共通資本というのは簡単にいってしまうと、一つの国または社会のなかに住む人々がすべて、人間らしく生きてゆくことができるようにするための社会的制度といってよいでしょう。
人間らしく生きるというのは、一人一人の市民が人間的尊厳を保って、それぞれもっている夢や希望が実現できるように自由に生きてゆくことを意味します。
封建的な因襲にしばられず、宗教的偏見にとらわれることなく、各人が生きながらもっている特性を充分に生かし、人格的発達をとげることができるような社会を理想とするわけです。
社会的共通資本は、その働きによっていろいろな種類に分けられます。
まず、大気、水、河川、海洋、森林、土壌などの自然環境が、社会的共通資本の重要な構成要因です。
自然環境は、人間が生きてゆくために不可欠であることはいうまでもありません。
また美しい自然は人々の感性をゆたかにし、人間的成長という面から大きな役割をはたします。
このような自然環境はいずれも、社会全体にとって共通の財産として、社会的に管理されています。
社会的共通資本という言葉もじつは、自然環境のように、一人一人の個人が自由にすることができない、社会にとって共通の財産あるいは資本という意味で使われています。
地球温暖化も結局、人類全体にとって共通の財産である大気が不安定になってきたためにおこっている現象です。
大気は、地球全体にとっての社会的共通資本というわけです。
道路、港湾、鉄道、水、電力、ガス、通信などの供給施設などは一般に都市的インフラストラクチャーとよばれていますが、これも社会的共通資本の構成要因です。
さらに、学校、病院など、教育、医療のための制度、施設、また司法、行政、金融などの制度もまた社会的共通資本として、社会が円滑に、安定的に機能するために重要な役割をはたしています。
社会的共通資本とは要するに、すべての市民が人間的尊厳を保ち、自由に生きることができるような環境を意味します。
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